メメント森

そのうち攻略情報とか書けたらいいな

おもいでエマノンという病

梶尾真治の小説を鶴田謙二がコミカライズした『おもいでエマノン』という作品がある。発行は2008年、約14年前の本だ。


主人公の青年が船で出会った少女との1日を描いたSF短編で、SFである以上、あらすじはあまり細かく紹介できない。1冊完結なので、もし興味がわいたら一読をおすすめしたい。
※続編も刊行されているが、最初の1冊できちんと完結している。

 

この作品が発売された時期は、すでに結婚して一人旅をほぼしなくなっていた頃だった。だから作品になにか大きな影響を受けたということは特にない。

 

十代の頃から一人旅をするのが好きで、よく夜行バスでほぼ手ぶらの旅行をしていた。目的もなく、知らない土地をフラフラするだけのチープなプチ旅行。見知らぬ住宅地を歩いたり、さして興味もない郷土資料館に入ったり、ボロいゲーセンに行く。当時はネットカフェもマンガ喫茶もなかったが、だいたい夜行バスの行き先には朝まであいているサウナ施設があったので、そこに泊まるか夜行バスで帰っていた。

 

何回かは無駄にドラマチックな経験もしたが、9割の旅はたいしたエピソードもない。平凡で退屈な旅だった。ひたすら歩いていた。カメラ趣味がないので写真もないし、携帯電話で写真も撮れない時代だから、今ならもう少し記憶に残る行動もできたかもしれない。少しだけ残念に思う。

 

長距離の移動をしていると、たまに似たような単独旅行者と知り合うことがある。お互い単身の気軽さもあって、目的地まで話が弾むこともあった。『おもいでエマノン』をはじめて読んだとき、そんな旅を思い出すとともに、うまく言語化できない感傷的な気持ちがわきあがった。

 

エマノン”というのは、ヒロインの女の子がとっさに名乗った偽名だ。nonameを逆にしただけの簡素なネーミングだが、不思議と印象に残る響きで、この作品は“エマノン”という名前をつけた時点で傑作になる資格を得ていると思う。

 

そして、鶴田謙二という異才が、コミカライズで彼女に息を吹き込んだ。素朴な線、粗い作風、どこか感傷的で情緒のある風景描写。ほんの少しの眉の動きや顔の角度で、吹き出しがないコマにもありありと浮かび上がる豊かな感情。劇画風とも美少女絵とも違う、生き生きと描かれるコミカライズのエマノンは、最高に魅力的だった。

 

無造作な黒髪ロングで、ラフなシャツにジーンズ、くわえ煙草がトレードマークで大酒飲みの少女が、ソバカス顔を崩してニカっと笑う。誰とも話さない一人旅をしているときに、こんな出会いがあったらどんなに素敵だろう。

 

一人旅で何もせずにボーッとしているとき、先にこの作品を読んでいたら、きっと自分はエマノンを妄想せずにいられなかった。もしかしたら、持て余したヒマな時間のなかで、妄想ばかりが膨らんで孤独が辛かったかもしれない。どこにもいないエマノンを求めて、一人旅の女性に無駄に話しかけたかもしれない。なにより、最高に無味乾燥で、ひたすら時間の無駄だった大好きな旅の時間が、まったく別の意味を持ってしまったかもしれない。

 

ある程度歳をとると、本当に空っぽの時間を持つことはなかなか難しくなる。実際には、やればできるのだろう。さまざまな予定やしがらみをやりくりして、数日の休みをとる。でもせっかくの休みだからと予定を詰めたり、ただ無為に寝て過ごしてしまう。こんなのは、結局のところ自分の責任だ。若くて、健康で、お金がなかった頃は、何も考えず席がとれた夜行バスに適当に乗っていた。そうして、たくさんの空っぽの時間を過ごしてきた。その全部があって、今の自分がある。あの頃、『おもいでエマノン』を知らなくてよかった。

 

エマノンを知ったあとでも、ときどき出張や旅行で遠出をする。妻と行くこともあれば、1人のこともある。1人でまとまった時間を持つことはとても大切だと考えている。自宅や職場でなければなお良い。何にも縛られず、何もしない時間でしか思い至らない思考がある。それは脳みそのどこかにあって、日常からは遠ざかってしまっている回路だ。

 

コロナ禍のもとで完全テレワークに移行し、妻は日中は仕事に出ているので、家で1人で過ごすことが増えた。1人暮らしをしていた頃は、ほぼ会社に泊まっているか、友人連中がひっきりなしに泊まりにきていたので、「家で1人で過ごす」記憶があまりない。だから現状は十分に非日常的だとは思う。それでも、何もしない時間をうまく作れない。頭が空っぽにならないし、上手な空想もできない。エマノンに会えることもなさそうだ。

 

『おもいでエマノン』は、カテゴリとしてはSFモチーフのボーイ・ミーツ・ガールにくくられるのだろうか。決して甘いロマンスではないし、清涼な読後感もない。ただ、不思議と記憶に残る。平凡な主人公が、なぜか魅力的なヒロインと巡り合うという構図は、もしかしたらシンデレラ・ストーリー的なテンプレ妄想なのかもしれない。

 

そんなことを思いながら『おもいでエマノン』のラストシーンをふと思い出し、ひさびさに読み返した。物語のオチの部分なので内容は割愛するが、刊行当時と比べてエンディングの主人公の心境がずいぶんと共感できるようになっていた。自分の昔の記憶を振り返るに、当時はなんとも思わなかったささいなエピソードが、何年もあとになって強く印象に残っていることは多い。たぶん、こんな駄文を書いている今の自分も、また時間がたって振り返れば小さなドラマをたくさん持っているのだろう。

フラワーカンパニーズの「深夜高速」という曲に、こんなフレーズがある。

 

年をとったらとるだけ増えていくものは何?
年をとったらとるだけ透き通る場所はどこ?

 

フラカンの持ち味は、青臭くてまっすぐで切実な想いを、少しシニカルさを残しつつも決して諦観せずに表現するスタンスにあると思っている。深夜高速はその代表曲。この曲の歌い出しは「青春ごっこを今も続けながら旅の途中」というフレーズで、前述したフレーズは2番の歌い出しにあたる。あまり短絡的に書くのは気が引けるが、長い人生を俯瞰したとき、全部肯定していこう、という歌だと解釈している。

https://www.youtube.com/watch?v=Ihjr5Xz31sI

50代に入ったフラカンが2020年に収録した深夜高速。CD音源とは全然違う味わいがある。若い人たちが聴くと古臭いだろうか。少し歳をとってから聴くと違って感じるだろうか。

 

何年かおきに、不思議と思い出す曲がある。自分にとって、深夜高速はそういう曲の1つ。これといって大きなトピックもないありふれた平日の深夜に、ふとしたきっかけで好きなマンガを読み返して、好きな曲を聞き返す。そんなに悪くない1日だった。