メメント森

そのうち攻略情報とか書けたらいいな

どうしよ平八郎の乱

ギャル語(かどうか不明なものも含め)のネットミームは語感だけで勝負しているものが多く、意味はほとんどない。それでもなんとなくわかるのが面白いところで、語感がいいから使いたくなる。

 

これはギャル発(ないしギャルが言いそうな言葉)なのがいいところで、若年層特有の熱狂的な拡散力があり、それでいて終息も速い。その「瞬間的な良さ」がわからないのがおっさんの悲しさだ。おっさんがのっかってくる頃にはすでにブームは終わっている。これがまた味わいがある。あまりの遅れっぷりがいっそ面白いことがある。「やばたにえん」が瞬間的にはやったのは2016年らしい。4年も前。それでもしつこく使っているのは、かつて自分が使っていたギャルが自虐的・自嘲的に使っているか、盛大に出遅れていることに気づかないおっさんだろう。言い過ぎ。

 

おっさんは事あるごとにダジャレを言う。オヤジギャグと呼ばれる。

「布団が吹っ飛んだ」くらいならまだ良い。場があったまっていれば勢いで笑える。「雷はもうたくサンダー」のようにひねってこられると、一瞬わからないだけに遅れてジワジワくることもある。しょぼい英語力も微笑ましい。「運動場つかっていい?」「うん、どうじょ」まで攻めてくると、ツボが浅い人なら呼吸困難になるほど笑える可能性もある。

 

だが待ってほしい。「やばたにえん」と「布団が吹っ飛んだ」では何が違うのか。後者のほうが適切なダジャレになっている。「ヤバイ」と「永谷園」の共通点など、母音だけではないのか。なぜ前者は若者の間で流行し、後者は若者を凍りつかせるのか。

 

「やばたにえん」がはやった当時は、瞬間的に無数のオヤジギャグっぽい言い回しが流行した。「サスガダファミリア」や「江戸川意味わか乱歩」など、微妙に最低ラインの教養がないとクスリとできないやつ。まるっきりオヤジギャグだと思うんだが、こういうのは同じ時代を共有しているがゆえの共感力と拡散力がある。3回くらいは使ってみたくなる。

 

一方で、この亜流に「了解道中膝栗毛」や「どうしよ平八郎の乱」などがある。実にうまいなと感心してしまう。なんなら現役で使っている。

 

だがしかし、これらの言葉を編み出したのはおっさんである。ギャル語をいじるというか、流行にのっかって生まれた。定番の言葉をちょっとひねって語感だけで使うのは、まさにおっさんの得意分野。うまいに決まっている。個人的にはこれも爆発的に流行ってしかるべきと思っていたが、思ったより流行らなかったし、いまだに知らない人が多い。言うまでもなく筆者はおっさんであり、若者たちの感性とちょっとズレている。期せずして、おっさんは本質的に若者言語を完全には理解できていないことの証明となってしまった。でも最高に使いやすいんだけどなぁ、「どうしよ平八郎の乱」…。

 

ここまで書いたところで、「そもそも膝栗毛ってなんぞ」と思うにいたった。

学生時代に「東海道中膝栗毛」という十返舎一九の本があったことくらいは知っている。弥次さん喜多さんのコミカルな旅行記だというのもほんのりわかる。でも膝栗毛ってなんだよ。

 

これは同じ疑問をもった人が多かったようで、ググったらあっさり解決した。「栗毛」は馬の毛色のことで、栗色の毛。そのまんまの意味。「膝栗毛」は「自分のヒザを馬の代わりにすること」、つまり「徒歩」をシャレた言い回しにしたわけだ。別にスネ毛が濃い話ではない。

※競馬をやる人なら、栗毛の名馬といえばオルフェーブルあたりか。少し前ならテイエムオペラオー。往年のファンならテンポイントが出てくるかな。

 

東海道中膝栗毛」は、一度も読んだことがなくても、タイトルだけは学校を出て何年経っても覚えている人が多いことだろう。だが「東海道中徒歩旅行」だったらどうだったか。ここまで記憶に残っただろうか。意味がわからなくても「膝栗毛」を覚えていられる、タイトルのセンスの良さを感じないだろうか。「墾田永年私財法」みたいなものだ。脳裏から離れない。どういう法律かは覚えてないのに。

 

そもそも、日本人は七五調のリズムが大好きだ。

いろは歌だって、蛍の光だって、童謡や唱歌なんかでもだいたい七五調。校歌が七五調だった学校も多いだろう。だからだいたい、このへんの歌は歌詞をシャッフルしても歌える。歌謡曲にも多いし、JPOPやアニソンだって多い。水戸黄門の「ああ人生に涙あり」の節で「どんぐりころころ」や「アンダルシアに憧れて」、「ギザギザハートの子守唄」を熱唱できる。文系の学生だったら詩をそらんじることもできる。「ああ、弟よ、君を泣く、君死にたまふことなかれ」で始まる与謝野晶子の有名な詩は、最後の行まで美しい七五調だ。

 

もう最初なんの話を書いていたか忘れた。この主題の逸れっぷりもおっさんの真骨頂だ。

 

とりあえずまとめに入るべく冒頭を読み返してみたところ、要するに「もうやばたにえん使ってる人がやばたにえん」という話を書くはずだったが、ギャルもおっさんも、ひいては日本人はみんなダジャレが大好きということでまとめたいと思う。優しい世界。

 

そもそもギャルとか今どき言わないし、ギャルにカテゴリーされる若者は「ぴえん」も卒業しようとしている。そうなれば「ぱおん」だって古典だ。でもそれでいい。人がJCでいられるのは3年。JKだって3年なのだ。3年以上続くのは流行語ではなく、現代語に格上げされる。現代語になってしまえば、もう面白い言い回しではないのだ。

 

流行語大賞の歴代入賞語を見返してほしい。

すでに古典になっている言葉が多い…という以前に、ほんの1~2年前の言葉ですら寒々しいと思わないだろうか。

濃いネットウォッチャーならこっちの方が楽しい。

「止まるんじゃねぇぞ…」なんて向こう30年くらいは使っていきたい名言だが、初出2017年だった。そろそろ賞味期限が近い。これを使いまくっていたJCも今はJKだ。涼しい顔して「昔はやったよね」で流されるだろう。「うそやん…3年とか一瞬やん…」と思ってしまったらもうこちら側の人間だ。

 

話を戻そうと思ったのに戻りきっていなかった。そもそもこの文章に主題があったのかどうかも疑わしい。

 

この文章を読むことで何も得るものがなかったとしても、何かが心のヒダに触れたとしても、明日は明日の風が吹く。ただ寝て起きてご飯たべてうんこするだけの日々だったとしても、貴方にとって今日が素敵な1日になりますように。