メメント森

そのうち攻略情報とか書けたらいいな

語彙力を考える

「語彙力」は、言葉の意味そのままで受け取れば、どれだけ言葉を知っているかを指す。その言葉を使いこなす力、というニュアンスも併せ持つ。

 

「知っている」ことと「使いこなす」ことの間には大きな隔たりがある。語彙と教養を兼ね備えた人は、相手に伝わる言葉を選んで使う。この「選んで使う」ために必要なのが語彙力だと思う。決して、画数が多い漢字や難読字、専門用語を多用することではない。相手に意図が伝わらなかったり、誤解を生むようであれば、むしろそのムダに豊かな表現力はマイナスでしかない。「語彙力がある」とは思えない。

 

IT系の人がインタビューでイキり倒した面白カタカナ語を連発すると、さっぱり頭に入ってこないうえに面白くなってしまうのは、読んでいる側が門外漢だからだ。その言葉を日常的に使う人にとっては、それが当然なので決してギャグではない。

※ネタでいじりまくってる例はこういうの

 

「日本語でいいやんけ!」「かえって文字数増えてるじゃん!」と思うことが多々あるカタカナ語だが、こういうのは定着した方が強い。PCといったら、もう多くの人はパソコンだとわかるだろう。だがひと昔前は、パソコンが伝わらなかった。パーソナルコンピュータの略と言っても本質的な解決にはならない。当時は、そもそもそれが何だか伝わらないからだ。ちなみに日本語では「個人用電子計算機」となる(著作権法にも出てくる正規表現)。こんな言葉で会話してる人、見たことない。つまり、コンピュータという言葉を使い、電子計算機と言わないのが、相手に合わせた適切な言葉遣いということだ。

 

ライトノベルの文章が年輩から受け入れられないのは、この「適切な言葉遣い」という部分だろう。基本の文章は平易なのに、やたら画数の多い漢字を多用し、非日常的な単語を散りばめ、なんならそこに個性あふれるルビをふる。その難読字が似合う文章であれば、文学として別の評価も得られただろうに。このチグハグさが、歳の数だけ読書量が増え、美しい文章を数多く目にしてきた層には、くすぐったくなってしまうのだろう。

 

一方で、だからこそ若者に支持される側面もある。たとえば「赤い血」と書けばいいところを、「紅い血」「朱い血」「赫い血」と書く。年配が見ると、見慣れない表現は恥ずかしい、もしくは痛々しく感じる。だが、スポンジのような吸収力がある瑞々しい感性は、見慣れない表現は好奇心をくすぐり、イメージを広げてくれる素材だ。いわゆる中二病に開眼するには、凡百の人間が使う言葉ではいけないのだ。とはいえそこは中学生、すべてをその調子で書かれてしまうと文章が読めない。だから文章は単純明快に、ここ一番では見慣れないカッコいい単語。この組み合わせが嗜好にストライクだったと想像する。

 

少し話を変えて、芥川賞というと、お堅い文章を想像しないだろうか。もちろんお堅い、難読字にまみれた、読み手に一定以上の教養を要求してくる文学作品も多々ある。だが、受賞作の小説は、決して難解な文章ばかりではない。たとえば「博士が愛した数式」がベストセラーとなった小川洋子は、「妊娠カレンダー」で芥川賞を受賞している。小川洋子の文章は、きわめて平易で、中学生くらいでも非常に読みやすく、そして難しい言葉を使わない。実に美しい文章を書く人だと思う。難しい言葉を使わずとも、文章のテイストにあった適切な言葉を選び、つむいでいき、その文章によって読み手の心をヒダを動かしていく。語彙力のある人の、理想的な姿だと思う。

 

それはそれとして、実際に日常で使うかはともかく、単純に知識として楽しい言葉もある。なんとなく辞書を読みふけったり、wikipediaを読み出すと止まらなくなる人なら同意してもらえるだろうか。特に使い道がない言葉でも、脳みそのどこかにストックすることで、ほんのちょっぴり知的好奇心が満たされる。まあ、ほとんどは忘れてしまうのだけれど。

 

最近、ぼーっと語源を調べていて面白かったのが、「おたんこなす」。

なんか力が抜ける響きであり、ある程度は相手をバカにしたいが、本気で傷つけたくはない…みたいな絶妙な力加減の悪口で、ちょっと気に入っている。しかし、意味は知らなかったので、気まぐれでググってみた。

 

もともとは吉原の遊女が使う言葉だったようで、最初に生まれたのは「おたんちん」。遊女が嫌いな客をバカにする言葉だそうだ。その意味は、「お短」+「ちんこ」。説明するのもアレだけど、まあ要するに「お前の母ちゃんでべそ」的な、実際にどうかは関係なく、相手をバカにするためだけに生まれた言葉ということだろう。「短小野郎」だと救いがない悪口だが、「おたんちん」だとなんだか憎めない。これが転じて、「おたんこなす」になった。ちなみに「こなす」は、そのまんま「小茄子」。これも小さいちんこの隠語。要するに、「ちんこはひねりが足りないな」ということで、「お短」+「小茄子」になったようだ。なんだか小粋な悪口だと思う。

 

わかってみるとベタなシモネタではあるが、遊女があっかんべーをしながら「おたんこなす!」って言っているところを想像すると、なんだかほっこりする。言葉の力だと思う。小さいちんこを表現するにも、これだけ幅があり、使い手の印象を変え、もともとの意味がわからずともニュアンスだけは伝わるほどの力を持っているのだ。

 

ここから無理やり話題を戻すのも恥ずかしいが、こういった言葉の引き出しを豊富に備え、その大量のストックから適切な用途で単語を引き出してくる力。教養や品性、そういった表に出ない知性を総合的に表すものが、「語彙力」なのだと、そういう話を書きたかった次第。